大切な人を失う悲しみは、人生でもっとも辛いことだと思います。
でも、どんなに辛くても、あなたまで死んでしまってはいけません。
あの世でまた会える日まで、一生懸命、生きてください。
それが、亡くなった方への一番の供養ではないでしょうか。
大川隆法総裁の教えの中から、死別の悲しみを癒すための
心の処方せんを選びました。
大切な人を失う悲しみは、人生でもっとも辛いことだと思います。でも、どんなに辛くても、あなたまで死んでしまってはいけません。あの世でまた会える日まで、一生懸命、生きてください。それが、亡くなった方への一番の供養ではないでしょうか。
大川隆法総裁の教えの中から、死別の悲しみを癒すための心の処方せんを選びました。
死別の時
死はとても悲しいものだ。
そして、切ないものだ。
生ある限り、生物は生き続けたいものだ。
人間とて同じ。
生き続けんとして、いつしか、病か老衰につかまり、死の使者に連れ去られる。
死は、夫婦の仲を引き裂き、親子を会えなくしてしまう。
愛別離苦の苦しみを、頭では理解していても、やはり、ハラハラ、ハラハラと、涙は、とめどなく流れ落ちる。
身内への愛は、ほとんどが執着であると教わっても、仏陀の言葉さえ、非情に響く。
この世の命が尽き、愛する人と別れるのは、苦しくも、切なく、哀しい。
わかっている。
そうであろう。
だが、人は死の下に平等なのだ。
来世での再会を、心の支えとせよ。
大川隆法著『正しい供養 まちがった供養』より
死は永遠の別れではない
死は、肉体人間にとっては確かに悲しいことではありますが、霊的な目から見れば、あの世への旅立ちであって、本来の世界に還ることです。この世の生活は、外国の学校に留学しているようなものであり、留学が終わって本国に還ることが死なのです。
人情として、あるいは文化として、死を悲しむのは分かりますが、悲しみすぎると問題があるのです。
大川隆法著『永遠の生命の世界』より
「あの世への旅立ち」を見送る遺族の心がけ
みなさんは、ある程度、「諸行無常」という言葉を知っていなければいけないと思います。
例えば、人間同士の付き合いにおいては、出会ったときに、すでに別れが始まっているのです。
この世において、そういう人間関係的な別れがなかったとしても、最後は「死別」というかたちでの別れが確実にやってきます。
そのときに、つれ合いが亡くなったあと、長い間、悲しんでばかりいたら、死んだ人、あの世へ還った人のほうだってつらいのです。
この世に遺った夫や妻が、毎日毎日悲しんでいたら、つらくてあの世に旅立てません。新しい世界に入って、新しい友達と出会ったり、勉強したりして、あの世で修行しているところを、後ろから、ぐうっと引っ張られるような感じになります。
「ああ、遺した妻のことが気になるなあ」と、後ろ髪を引かれる気持ちになるのです。
それがあまりに強いようだと、やはり気の毒です。
結婚したときから、最後には死に別れることになっているわけなので、「いつかは必ず、愛する者とは別れるのだ」ということを、どこかで冷静に考えておかなければなりません。
そう思っていることが、人間関係のなかに、一定の不動心、心の安定を与えます。
ある意味での冷たさのようにも見えるかもしれませんが、これが安らぎに似たものを与えてくれるのです。
大川隆法著『ハウ・アバウト・ユー?』より
悲しみの底をぶち破ったとき、そこから光がでてくる
世の中には自分の運命を呪う人が多いものです。「なぜ自分だけが、こんな運命のもとに生まれ、こんな苦労をしなくてはならないのか」ということを考える人は多いでしょう。
幼くして両親を失った。経済的苦労のため学校に行けなかった。結婚ができない。結婚をしたが、配偶者と死に別れた、あるいは生き別れた。子供が生まれない。子供が生まれたが、幼くして死んでしまった。子供が不良になった──。
一つひとつあげていけばきりがないほど、世に悲しみの種は尽きません。
しかし、こうした悲しみ、あるいは不幸な運命といわれているものは、何の意味もなく、何の役にも立たないのでしょうか。
人間が地上に生まれてくる前に住んでいた天国という世界は、そうした悲しみや苦しみが少ない世界です。「なかなか自分の願いがかなわない」というようなこともないわけではありませんが、積極的な悪というものは天国には存在しません。しかし、この地上では、運命に翻弄されるがごとく、不幸が襲いかかってくることがあります。
『旧約聖書』にはヨブの話があります。あらゆる災難がヨブに降りかかってきて、とうとうヨブが神を呪うまでになったとき、神はヨブに対して答えました。
「ヨブよ、おまえは神の心を裁くことができるほどに賢明であったのか。もっと謙虚になりなさい。おまえは神の心がほんとうに分かっているのか」
神はこのようにヨブに呼びかけています。このときの神の答えのほんとうの意味は、「進化という目的のために、神はさまざまな舞台装置を用意されている」と考えればよいと思います。
自分を遺して死に、旅立っていった人も、あの世の世界で、また素晴らしい生活をしているのです。したがって、「この地上のみに視点をおいて物事を考えてはならない」ということが分かるはずです。
結局、いろいろな試練を与えられる人は、それだけ光に近いところにいるのです。喜びのなかにいれば天国は近いけれども、悲しみの底にも天国は近づいている。そして、その悲しみの底を打ち抜いて光を手にしたとき、そこに天国が現れる──。世の人々は、このことを知らねばなりません。
大川隆法著『永遠の法』より
過去世から親しい魂のグループが同時代に生まれ、自分の人生をバックアップしてくれている
いつの時代も、あるいは、ときどき、一緒に魂修行をしてきた仲良しのグループがあり、そういう人たちが同時代にたくさん生まれています。
万一、あなたがたの現在の家族関係や友人との人間関係、仕事での人間関係が破綻しても、新しくまたできる人間関係のなかに、自分に縁のあるソウルメイト、「魂の友人」と言うべき人が出てきて、助けてくれるようになっていることが多いのです。
人生はすでに八十年、九十年時代に入ってきているので、さまざまなことがあろうかと思いますが、どうか、運命というものを固定的なものに捉えないで、「魂の友人たち、ソウルメイトがいて、自分の人生のバックアップをしてくれている」ということを知ってください。
あなたがたの人生のなかで、特別に心惹かれる出会いがあるでしょう。男女だけでなくても、男性同士、女性同士でもあると思います。
身内でもないのに、身内のような感じがする。あるいは、運命的な友人と思われるような、一生の友人を得る。仏法真理に導いてくれて、そのあと何十年も一緒に付き合っていくような友達、法友を得る。このような結びつきがあります。そういう「ソウルメイト」という存在が実際にいるのです。
大川隆法著『勇気の法』より
「お盆に知りたい供養の秘密」
「悲しみからの出発」
幸福の科学の人気ラジオ番組「天使のモーニングコール」(全国ネット+ハワイKZOO)の過去の放送の中から、今のあなたに聴いてほしい番組をご紹介します。(音声にてお聴きいただけます)
この放送を聴いて、自殺を思いとどまった方も大勢いらっしゃいます。