就職に失敗すると、全人格を否定された気がして辛いものです。だからと言って、あなたは生きる価値のない人間などではありません。成功への道は、一つの扉が閉じれば、別の扉が開くようになっています。神さまは、あなたが人生に成功する道をちゃんと用意してくれています。

大川隆法総裁の教えの中から、就職で成功するための心の処方せんを選びました。

試験を絶対視するなかれ

試験を絶対視するなかれ

世の中の多くの人が「うらやましい」と思うような大会社に入ったのはいいが、課長にもなれない人が半分以上います。ところが、その会社に入れなくて、二流三流の会社に入ったけれども、そこで重役や社長にまで出世する人もいるのです。

世にいう大会社の社長になった人で、「就職のときには、○○を受けて落ちた」という人がたくさんいます。なかには、不合格になった会社のライバル会社に入り、そこで社長になる人もいます。

ということは、よその会社、ライバル会社で社長になれる人を、入社試験で落としておきながら、その会社に入って課長にもなれず、ヒラのままで終わる人を、人事のセクションは採用しているわけです。

そうしたことが世の中にはたくさんありますから、会社の面接試験を神の判定のように考えてはいけません。

大川隆法著『幸福への方法』より

現在の環境のなかで最善を尽くす

みなさんにとって、いま勤めている会社は、入社試験のときには必ずしも第一志望ではなく、行きたい会社がほかにあったかもしれません。幾つかの選択肢のなかから、結果的に、第一志望ではなかった、現在の会社に決まったかもしれません。「第一志望にも第二志望にも落ちてしまい、この会社は第三志望だった」「この会社は第五志望だった」「希望していた会社には入れなかったが、この会社に、たまたま空きが生じたので入れた」というような就職の仕方もあろうかと思います。

しかし、世の中には、第一志望の会社に就職できる人など、それほどいないのです。

また、第一志望の会社に就職できた人が、そこへの就職をほんとうに一生の運命と考えていたかといえば、必ずしもそうではなく、「世間の評判が高い」「会社の知名度が高い」「給料が高いらしい」などの理由で第一志望に選んだ人も多いのです。

「その会社に入るために生まれてきた」というわけではなく、「学校の友達が、みな行きたがっている」「人気ランキングの上位である」などの理由で会社を選ぶ人にとってはその仕事を一生の仕事にすべきかどうかは、あまり深刻な問題ではないかもしれません。

現在の環境のなかで最善を尽くす

守護霊や指導霊など、天上界の高級霊たちには、そういう人を応援しなければいけない積極的な理由がありません。「世間の評判だけで就職先の会社を選んでいるような人を、なぜ、それほど力を入れて応援しなければいけないのか」ということです。

現代では、多くの人がサラリーマンになりますが、第一志望であろうとなかろうと、結果的に自分が勤めることになった会社に対しては、「自分はこの会社に縁がある。自分はここに天命を得たのだ」と思うことです。「自分はこの会社に縁があって入ったのだ。ここに天命があるのだ」と思って働いた人は、その会社で、めきめきと出世し、成功を収め、自分の思うような仕事ができて、結果的に、天命そのものに生きているようになるのです。

ところが、「自分はこの会社に入るべきではなかった。何かの間違いだった」と不平不満を言いつづける人が、同僚や部下、上司のなかにいたならば、その会社の人はどうなるでしょうか。

たとえば、新入社員が、入社した初日から、「こんな会社に入るべきではなかった」と言っていたならば、まわりの人は、みんな、「あなたがいると職場環境が悪くなるから、早く辞めなさい」と言うでしょう。

あるいは、やる気満々で入ってきた新入社員が、会社の先輩から、「君、こんな会社に来るものではないよ。君は入る会社を間違えたのではないか」などと言われたならば、やる気をなくしてしまうでしょう。

不平不満を言う社員がいると、会社に悪い影響を与えます。その人の立場が下のほうであってもそうですが、その人の立場が上になればなるほど、害悪は大きくなります。

そういう人が部長あたりの立場にいると、その害悪たるや、そうとうなものです。

したがって、いつまでも世間の目や人の言葉などを気にするのではなく、「縁があった会社に自分の天命を発見しよう。自分が縁を得た会社で天命を発揮しよう」と思うことが大事なのです。たとえ、その会社に天命がなくても、一生懸命に努力した者には次の道が開けます。努力しない者に次のドアが開くことはありません。

大川隆法著『幸福の法』より

誰もがうらやむ道が良いとは限らない

世の中には、多くの人から、うらやましがられるような仕事をしているエリートがいます。しかし、そのような人たちには悩みがないかといえば、そんなことはありません。挫折とは無縁の道を歩んでいるように見えたとしても、心のなかを見てみれば、彼らにも彼らなりの挫折感があって苦しんでいるのです。

大川隆法著『勇気の法』より

失敗のなかに成功の因があり、悲しみのなかに喜びの種がある

失敗のなかに成功の因があり、悲しみのなかに喜びの種があ

苦難や困難、失敗、挫折というものは、世間では悪いことの象徴のように言われていますが、必ずしもそうとは言い切れない面もあるわけです。「失敗のなかに成功の因があり、また、悲しみのなかに喜びの種がある」という、ものの見方が非常に大事だと思います。

世の中を非常に単純に、二元論的に見る人は、「仏神が存在するなら、世の中には、なぜ不幸があるのだろうか。なぜ辛酸をなめるような経験があるのだろうか。なぜ死というものに出会う悲しみがあるのだろうか。なぜ別離という悲しみがあるのだろうか。なぜ貧乏という名の苦しみがあるのだろうか」ということを感じます。

しかし、そのような苦しみや悲しみは、単なる苦しみのための苦しみであったり、悲しみのための悲しみであったりすることはありません。苦しみや悲しみと見えるものは、実は、姿を変えた、仏神の大いなる愛であることが多いのです。

仏教では、さまざまな試練を観世音菩薩の方便であると言うこともあります。いろいろな試練と見えるもの、砥石と見えるもののなかに、実は、仏神との出会いがあるのです。

「子供として健康に育ち、まずまずの成績を収め、まずまずの進学を果たし、まずまずの就職をし、まずまずの結婚をし、よい子供を持ち、年老いて死んでいく」というだけでは、なかなか仏神との出会いはないかもしれません。

しかし、九十九パーセント以上の人は、どこかで挫折を経験しています。夜、眠れないような経験をしています。だれであろうと、必ず、食事が喉を通らないような経験、夜、眠れないような苦しみ、焦燥感を味わったことがあるのです。

ただ、問題は、それに対する評価の仕方、考え方、とらえ方だと思います。すなわち、「そのような苦難や困難、あるいは焦燥感、苦しみ、悩みと出くわしたときに、それを悪の実在のように思い、世を呪い、仏神を呪い、人を呪うか。それとも、そのなかに、自分の成長を促す何かを感じ取るか。仏神の方便を感じ取るか。仏神の大いなる愛を感じ取るか」という違いであろうと思います。

大川隆法著『幸福の原点』より

「ほんとうの私って、どんな私?」

「仕事に生きがいを持つための心がけ」

幸福の科学の人気ラジオ番組「天使のモーニングコール」(全国ネット+ハワイKZOO)の過去の放送の中から、今のあなたに聴いてほしい番組をご紹介します。(音声にてお聴きいただけます)

この放送を聴いて、自殺を思いとどまった方も大勢いらっしゃいます。