思い出の朝顔
私は、大自然豊かな地域ののどかな町に生まれ、両親と五つ下の妹、それに母方の祖父母の六人家族のなかで育ちました。
母は小学校教師で忙しく、幼い私と妹は、よく父と遊んでもらいました。
父は農学部出身で、自然が大好きな人。
私と妹を散歩に連れて行っては、道端に咲いている可愛い花や、昆虫の名前を教えてくれたものです。
植物を育てるのも得意で、家の庭には父が咲かせた美しい花々が、どの季節にも見られました。
「お父さんが育てた朝顔が初めて咲いた日に、朝子が生まれたんだよ」
そんな優しい父が、私は大好きでした。
父の変化
いつもは穏やかな父でしたが、私が小学6年生になる頃から、物思いにふけることが多くなっていきました。
父は、車の部品製作会社の課長として工場で指揮をとっていましたが、その仕事が自分に合わないと感じていたようです。仕事の忙しさや中間管理職としての責任も、重くのしかかっていたのでしょう。
帰宅時間が遅くなり、言葉数も減っていきました。休日はどこにも出かけず、いつまでも寝ています。そんなある日。
「病院で、ノイローゼって言われた……」
家族の食卓で、突然、父がみんなに言ったのです。
父は、通院して薬の治療も始めたのですが、やがて不眠になり、そのせいで飲めないお酒も飲むように……。
筋の通らないことを口走ったり、時々人が変わったように、ものすごい形相で怒り出すこともありました。
父はもう、美しい花を育てることは、できなくなってしまったのです。
「死にたい」と告げられて
昔の父に戻ってくれることを期待して、私は何かと父に話しかけました。けれども、父が心から笑うことはありませんでした。
あれは、私の高校受験の日。迎えに来てくれた父の車で帰る途中、父が言いました。
「朝子。……お父さん、死のうとしたんだ」
「えっ……?」
「……これ以上、生きていられないと思って、車の排気ガスで死のうとしたんだ。でも、朝子と梗子が『自殺者の子』って言われ続けると思ったら……。死ねなかった……」
父はハンドルを握りながら、ぽつりぽつりと語りました。
私は驚き、ただただ泣くだけでした。母に相談しようかと迷いましたが、父のことで深く悩んでいる母には、言い出せません。手紙で父を励まそうかとも思いましたが、それがどんな結果を招くのか怖い気がして、結局、何もできなかったのです。
(お父さん。自殺なんかしないで……!)
私は、この重苦しい出来事が早く過ぎ去ってくれるよう祈りながら、不安な日々を過ごしていました。
最悪の結末
それから1年以上経った、高校2年のゴールデン・ウィークのこと。私は、気分転換になると思い、父を映画に誘いました。
「ねぇ、お父さん。映画観に行こうよ」
「いや、今日はちょっと出かけてくる」
そう言い残して、父は車で出かけました。
そして、それっきり、父は戻って来なかったのです──。
1週間後、警察から連絡がありました。父は故郷の山の中で、遺体で発見されたのです。車の排気ガス自殺でした。
(お父さん、本当に死んじゃったの?)
私のなかで、何かがガラガラと音をたてて崩れ落ちました。
(ノイローゼでも、家出しても、どこかで生きていてほしかったのに──!)
お花見や旅行、近所を散歩したことなど、父との思い出が次々と浮かんできます。
(やっぱりあの時、「死なないで」って言えばよかった!)
父の苦しみを知りながら何もできなかった自分を、猛烈に責めました。
私は、胸が張り裂けるほどの悲しみがあることを、この時、初めて知りました。
消せない父の面影
父の自殺は、私を変えてしまいました。
友達といても楽しめず、表面的につきあうことしかできません。家で、庭に車が入る音が聞こえると、(お父さん帰ってきた!)と思ってしまい、その度に気持ちが落ちこみました。
時折、夢に出てくる父の顔は真っ青で、不気味に感じました。
(見えないけど、お父さんはまだ家の中にいるのかな……)
自分の心をコントロールできなくなった私は、このまま自分もおかしくなるのではないかと、心配でたまりませんでした。
一方、人間は何のために生きているのか、死後はどうなるのかを知りたくて、心理学や哲学の本を読みあさりました。しかし、納得のいく答えは見つかりません。
不安と無気力から抜け出せない状態が、1年半ほど続きました。
大きな存在を感じて──
大学受験を控えた、ある秋の日のことです。
自分の部屋の窓から、ふと外を見ると、真っ赤な夕焼けが広がっていました。
(うわぁ……。すごい……!)
大きな夕日が、山の裾野に広がる田園を照らし出しています。大自然の神秘的な美しさが、私の胸に迫ってきました。
(お父さんは死んじゃったけど、世界はこんなに綺麗なんだ──)
この世界を支え、万物を生かそうとしている、大きな存在を感じました。
(私は明るく生きていかなくちゃ……)
その日を境に私は、父のことにとらわれず受験勉強に集中しようと、自分に言い聞かせるようになりました。
「死後の世界って、あるんだよ」
半年後、私は大学に進学。心機一転、新しい人生を送ろうと、初めての一人暮らしを始めたのです。
ある日、仲良くなった先輩と夕飯を食べていると、彼女が急に、こう言いました。
「死後の世界って、あるんだよ」
「え?……死後の世界?」
私が興味を示すと、彼女は、あの世の構造やで転生輪廻(※)のことを教えてくれました。
私の胸は高鳴りました。何年も求め続けてきた、人生の疑問に対する答えが、彼女の話のなかにあったからです。
「そういうこと、どこで知ったの?」
「幸福の科学よ。一緒に行ってみる?」
それが、幸福の科学との出会いでした。
- ※転生輪廻
- 生まれ変わりを繰り返すこと。人間は永遠の生命を持ち、魂修行のために、あの世の天国から何度もこの世に肉体を持って生まれ、多くの人生を経験することで魂を磨いている。たとえ死後に地上をさまよったり、地獄霊になったとしても、反省すれば天国に戻ることができる。
また、お父さんに会えるんだ!
幸福の科学で仏法真理を学び始めた私は、「人間は死後、それぞれの心境に応じた霊界に還る」ことや、「人間は魂修行のために様々な時代や国に生まれ、転生輪廻をくり返している」ことなどを知りました。
(あの世があるなら、お父さんの魂も生きてるんだ。また会えるんだ!)
そう思うと、本当に嬉しくなりました。
しかし同時に、自殺者はストレートに天国に還ることは難しく、多くの場合、地上でさまよったり、家族に憑依(※)したり、地獄で苦しんでいるということも学びました。
(お父さんも、仏法真理を知っていたら、きっと自殺しないですんだのに……)
生前、「なんのために生きているのか分からない」とつぶやいた、苦しげな父の顔が浮かびました。
- ※憑依
- 悪霊などが取り憑くこと。霊が地上の人間に憑いて影響を及ぼしている状態のこと。
マイナス思考
幸福の科学で「心のあり方」を学ぶうちに、私には、物事を悲観的に捉える癖があることに気づきました。特に対人関係でつまづくと、(結局、分かり合えないんだ。壊れちゃうんだ)と、マイナス思考にとらわれてしまうのです。
自分を変えたいと思っていた時、幸福の科学の講師からアドバイスをもらいました。
「マイナス思考を直すには、『光ある時を生きよ』の書籍を読むといいですよ」
私は早速その本を購入し、アパートに帰ってすぐに開いてみました。
(えっ、なんだろうこの本……!)
「大いなる希望を抱け」「絶望するな」など、目次に並んだ言葉が、次々と「胸に飛び込んで」きたのです。
私は思わず本を閉じ、胸に抱えて部屋中をウロウロと歩き回っていました。
(これだ……。私が求めていたのは!)
人々よ 大いなる希望を抱け ひたすらに 神の光はあふれくる 神の力はあふれくる 神の勇気はあふれくる……(
『光ある時を生きよ』より)
光に満ちた力強い言葉が、私の心の隅々まで明るく照らしてくれました。胸は熱くなり、涙がとめどなく流れ続けました──。
それから毎日、第2章の「人生に勝利する詩」を声に出して読みました。
すると自分でも驚くほど、悲観的な思いが出なくなり、積極的な考えに変わっていったのです。
心の霧が晴れて
仏法真理の素晴らしさを実感した私は、幸福の科学の支部で三帰誓願式(※)を受けました。
支部の皆さんに祝福されながら、これから自分がもっと良い方向に変わっていける予感がしました。
(ああ……。嬉しいなぁ)
支部からの帰り、駅のホームに立つと、なぜか景色が違って見えました。目に映るものがすべて、スッキリと見えるのです。
(今までの私には、霧がかかってたんだ)
駅からアパートへと帰る道で、大学の友達に会いました。すると開口一番、こう言うのです。
「朝子ちゃん、なんか前よりスッキリして見えるよ。いいことあった?」
「えっ、分かるの?」
自分が感じていた変化が傍目にも明らかなのだと知って、驚きました。
それからは、父が早く天上界に導かれるよう、「仏説・願文『先祖供養経』」の経文をあげたり、支部で行われる「幸福供養祭」で、父の供養をさせていただきました。
(これでお父さんにも、仏法真理の光が届けられる。よかった……)
- ※三帰誓願式
- 仏・法・僧の「三宝」に帰依して、修行を続けることを誓う儀式。
なつかしい父の声
「幸せな家庭」に強く憧れていた私は、大学卒業と同時に、おつきあいしていた彼と結婚しました。
結婚生活は順調でしたが、私は次第に、自分の未来が描けないもどかしさを感じるようになりました。
(仕事を始めたほうがいいのかな……)
そこで、結婚3年目の頃、幸福の科学の総本山・未来館(※)で「運命改善研修」を受けました。
研修では、生まれてから今までの人生を辿り、自分の心を深く見つめていきます。
その研修のなかで私は、心の奥底に、「自分だけ幸せになってはいけない」という思いがあることに気づいたのです。
苦しみ続けた父と、父を支えようと苦労してきた母。私はそんな両親に、何もしてあげられなかった──。強い自責の念と共に、涙がどっとあふれたその時……。
(──朝子。もう泣かなくていいんだよ。もう、大丈夫だよ──)
聞こえてきたのは、ノイローゼになる前の、優しく穏やかな父の声でした。
それと同時に、私や母や妹を心配してくれている、父の温かい思いも伝わってきたのです。
(お父さんは救われたんだ。私も、幸せになっていいんだ……)
苦しみから解き放たれたような、安らぎに満ちた父の思いを感じて、ずっと抱えていた心の重荷が外れました。
- ※総本山・未来館
- 栃木県宇都宮市にある幸福の科学の精舎(研修・礼拝施設)
呪縛から解き放たれて
将来の夢を描けるようになった私は、翻訳の学校に通い始め、海外貿易事務や外国人研修生のガイドなど、やりがいのある仕事に就くことができました。
しかしもう一つ、気がかりなことがありました。子供のことです。どうしても、子供を産む決心がつかないのです。
(幸せな家庭を築いても、家みたいに途中で壊れてしまうかもしれない……)
漠然とした不安が、どうしてもぬぐい去れません。
そこで27歳の時に、総本山・正心館(※)で「起死回生の秘宝」を受けることにしたのです。
儀式のなかで、とても神秘的な体験をしました。
永遠の生命を持った人間の魂が無限の転生輪廻をくり返している、その壮大な生命の大河を、心のなかに垣間見ることができたのです。
父は、今回の人生では自殺という道を選んでしまいましたが、永い永い転生の過程では、それはほんの一瞬のことであり、その経験もいつか、魂の糧となっていくこと。そして、そのような未熟な私たちを、限りない慈悲で包んでくださっている、仏の存在というものを感じました。
その時、私の心に張り付いていた「苦しげな父の顔」がベリッと剥がれ落ちました。
その瞬間、私は、後悔や罪悪感から完全に解き放たれ、まるで生まれ変わったように、新しい人生のスタートラインに立つことができたのです。
- ※総本山・正心館
- 栃木県宇都宮市にある幸福の科学の精舎(研修・礼拝施設)
自殺では何も解決しない
私は、幸福の科学に出会い、真実の人生観に目覚めたことで、父を自殺で失った心の傷を癒すことができました。
今、深い悩みのなかにある方も、どうか人生を諦めず、仏法真理を学んでみてください。必ず、新しい道が見つかります。
父や私たち家族と同じ苦しみを味わう人が、これ以上増えないよう、多くの方に、生きている間に仏法真理を知っていただきたいと、心から願っています。
(※プライバシー保護のため、文中の名前は全て仮名にしています。)
「ザ・伝道154号」より転載・編集