平凡で穏やかな日々
「お父さん、ここの梁の太さ、これでいけると思う?」
「計算でいくとそうだろうけど、こうした方がいいよ」
わが家の居間で図面を広げ、在りし日の長男と主人が会話を交わしていた、そんな光景が思い出されます。
設計士だった長男の武は、大工の棟梁だった父親に、よく仕事の相談をしていました。幼いころの武は活発な子でしたが、大人になるにつれて口数が減り、物静かな父親によく似てきていました。そんな長男が、まさか自ら命を絶ってしまうとは……。
あの事件から、今日に至るまでの道のりをお話しします。
この生き方でいいの?
私は大工の夫と三人の息子、そして私の母の六人家族で暮らしていました。ずっと専業主婦でしたが、子供が成人すると、知人に頼まれて、近所のスーパーを手伝うことになりました。
(外で働いたこともない私に、勤まるかしら?)
不安を抱きながらも3年ほど勤めていると、だんだん商売が面白くなり、私は仕事に熱中していきました。自分の収入を得て、旅行や買い物も楽しみ、将来は自分のお店を持つ夢もできました。
けれども時折、心の底から人生への疑問が湧いてきます。
(この生き方でいいの?このまま人生を突き進んで、本当にいいの?)
私は信心深い母のおかげで、幼少時から伝統仏教を信仰して育ち、お寺にも通っていました。そこで、時折頭をよぎる生き方への疑問、人生の意味や死後の世界について、伺ってみたこともあります。
しかし残念ながら、納得のいく答えは得られませんでした。
長男の会社が倒産
私がパートを始めて10年近くになるころ。当時33歳の長男が勤めていた建築会社が、倒産してしまいました。
「武。伯父さんたちが、働き口は世話するよって……」
「……いや、いいよ」
武は以前にも2回、勤務先の倒産を経験していました。親戚に再就職先を紹介してもらうこともできたのですが、潔癖なところがある武は、ガンとして、身内に頼ろうとはしません。
(親が口を出す齢でもないしねぇ……)
3度目の倒産は、さすがに堪えたようですが、主人も私も、見守るしかありませんでした。
そんなある朝。
「いってきまーす!」
しばらく家にいた武が、久しぶりに出かけていきました。
そのとき、武がとても晴々としていたのが、印象的でした。
(就職が決まったのかな)
私はただ、そんなふうに楽観していたのです。
逝ってしまった長男
武が何の前触れもなく、自らの手で人生を終わらせてしまったのは、その数日後、1995年2月の、寒い朝のことでした。
何となく武のことが気になった私は、出勤前に武の部屋をノックしました。
「武、開けるよ」
──第一発見者は、私でした。その後のことは、記憶がすっぽりと抜けています。ただ、私が叫んだ声が、ご近所にまで聞こえたと、後から知りました。
気がつけば、お通夜もお葬式も過ぎ、武は小さな骨壷に収まりました。
(武、武……)
突然、姿を消してしまった武。その日を境に、私の世界は灰色に変わりました。
後日、武の同僚の方が、自殺の原因を話してくれました。
「これは社長の計画倒産だったんです。僕らは生活のために早々と再就職しました。でも武君だけは逃げずに、取引先への後始末を全部背負って……」
武がそんな重荷を抱えていたなんて、知りませんでした。
(どうして、気づいてあげられなかったの)
なんて、不甲斐ない母親……。
「あの部屋は、開かずの間にするしかないな……」
主人はそうつぶやくと、武の部屋に閂をかけました。
「あの人、ご飯食べてる」
(あの子を自殺に追い込んだのは誰なの!)
武の服やお茶碗──。それらが目に入るたび、胸を引き裂かれる思いに襲われます。
(あの子を死なせたのは私だ。私のせいだ。武……!)
行き場のない怒りと悲しみに苛まれ、鬱々と日々をやり過ごすうち、主人と息子たちは仕事に戻り、四十九日も過ぎました。
(私も、どうにか立ち直らなくちゃ……。仕事に戻れば、元気になれるかな)
しかし、子供がそんな死に方をしたのですから、客商売では嫌がられるかもしれません。悩んだ末に、勇気を振り絞って職場に行ってみました。
「双川さん、大変だったね。もう大丈夫?」
皆の心遣いにホッとしながら、久しぶりに体を動かすと、少し食欲も出てきました。
(忙しく働けば気がまぎれる。やっぱり、復職しよう)
そう思ったのも束の間。昼休みに軽食を口にすると、従業員のおしゃべりが聞こえました。
「見て、あの人、ご飯食べてる。自分の子があんなふうに死んだのにね」
──その瞬間、心が凍りつきました。
結局、私はその日のうちに辞表を書いて、長年勤めたその店を辞めてきたのです。
人に会うのが怖い
(皆、そう思ってるんだ)
人に会うのが怖くなった私は、人間関係をすべて断ち切り、家に引きこもりました。
(武は、どこに行ったの)
お寺に聞いても、やはり答えはもらえず、私は苦しい思いを母にぶつけました。
「あなたは私に『信仰していれば幸せになる』って教えたけど、これはどういうことよ!説明してちょうだい!」
「……分からない。私には、答えられない……」
年老いた母は、小さな声でそう言いました。この信仰では救われないと思った私は、すぐに新幹線に飛び乗り、京都の有名なお寺に向かいました。
「自殺した武はどうなったのか」「これから私は、どう生きていけばいいのか」。この二つの問題への答えが、私にはどうしても必要だったのです。
「あなたは幸せよ」
そのお寺には、武が亡くなる前月に起きた「阪神大震災」で被災した人々が、大勢集っていました。
震災で子供を亡くした女性たちは、私に言いました。
「子供が自殺したって言っても、あなたはその子を清めて火葬して、お骨にしたんでしょ。それは幸せよ」
「そうよ。私たちは子供の亡骸を見つけることも、体を洗って火葬してあげることもできないんだから」
衝撃でした。震災のなかで子供を喪った人から見れば、私は幸福者だと言うのです。
(私が幸せだって?それは真実なの?)
さまざまな思いを抱えて、私は自宅に戻りました。
一歩を踏み出した時
救いを求めても出口が見つからないまま、すでに半年──。
(答えは見つからないけど、このまま塞いでいても……)
ある日私は、思い切って町に出てみたのです。すると……。
「あなた!どうしてた?」
スーパーの常連客だった女性が、駆け寄ってきました。
「あなたに会ったら、何て言おうかと思っていたのよ」
「えっ?」
その女性は、私の目を見て言いました。
「誰だってね、人に言えない苦しみを抱えているものよ。だから、あなたも負けないで」
驚きました。私の境遇を気にかけて、励ましてくれたのです。
(優しい人もいるんだ……)
閉ざしていた私の心に、小さな光が灯りました。
運命の書との出会い
やっと一歩を踏み出した私に家族は、「料理の腕を生かして調理師免許を取れば?」と、図書館で勉強するように勧めてくれました。
図書館に行くと、私の足は自然と「宗教」の棚に向かってしまいます。
(武は今、どうなっているのか、どうしても知りたい)
仏教、キリスト教、神道……。ズラッと並んだ宗教書を、端から10冊ずつ借りて、次々と読んでいきました。
しかし、その棚の本を全部読み尽しても、明確な答えは見つかりません。反対側の書棚をのぞくと、そこに、『小桜姫の霊言』という本が──。
(著者は、大川隆法さん……)
読んでみると、今までの本とはまったく違う印象です。嘘や作り事で書ける内容ではないと思いました。
大川先生の他のご著書も読みたくて書店に行くと、新刊コーナーに『常勝思考』という本が積んでありました。サブタイトルは、「人生に敗北などないのだ」。
(そうなの?“人生に敗北などない”の?もしそれが本当なら、私の人生も、やり直せるかもしれない……)
まえがきには、「常勝思考(常に勝ち続ける思考)とは、成功からも失敗からも教訓を学び、自分を成長させていく考え方」であると書かれています。何か力強いエネルギーを感じて、すぐに買って帰りました。
「この教えが必要」
その本は私に、大きな希望を与えてくれました。
『人間が永遠の生命を持ち、転生輪廻をしている』という前提に立ったとき、みなさんは、この現象界の事件、あるいは経験というものを、違った観点から見ることができるはずであり、それは自分に対する大いなる糧となる経験のはずです。(
『常勝思考』より)
(人間は、死んだ後も生き続けるんだ。じゃあ、武も……)
私は一日に何度も『常勝思考』を開いては、心に響く言葉の数々を読み返しました。
(私には、この教えが必要だわ。もっと詳しく知りたい!)
しかしその年は、地下鉄サリン事件が起きて、悪い宗教が社会問題になっていたので、新興宗教に関わることを一瞬、躊躇しました。
(でも、決めつけてしまったら何も得られない。おかしい宗教だったら辞めればいいんだから、大丈夫よ)
そうして私は地元の支部を訪ね、幸福の科学に入会しました。武が逝った年の、暮れのことでした。
自殺者の魂は……
大川隆法総裁先生が説かれる仏法真理を学び始めると、目の前の霧が、みるみる晴れていきました。そこには、私が求めてきた人生の答えがあふれていたのです。
この世は魂を磨く修行場で、人間は、自分に必要な苦難や試練も織り込んだ「人生計画」を立てて、この世に生まれてくると知りました。
(試練は、魂を磨くとき……。自分の不幸を他人のせいにして責めていても、絶対に幸福になれないのね)
そして「自殺」は、与えられた魂修行を無駄にして、他の人々の人生計画も狂わせるため、やはり「罪」になると……。
(武にとっては、倒産で苦しんでいた時期が、魂修行の機会だったのかもしれない。それを知っていたら……)
死後の世界を知らずに自殺した人は、自分が死んだことにも気づかず、死の瞬間の苦しみを延々と繰り返しているため、成仏することは非常に難しいと知ったことは、私にとってはショックでした。
(武の魂は今も、あの日の苦しみを味わっているんだ。どうにかして助けたい──)
迷っている故人を救うには、遺された家族が仏法真理を学び、幸福に生きることが大切だと教わりました。私は、真理を知る喜びが武にも届くようにと祈りながら、学びを続けていきました。すると学びが深まるほど、私の心が安らいでいったのです。
迷いの多いこの世で、誰もが懸命に生きている──。その一人ひとりを、悪人や善人の区別もなく優しく包んでいる、主の限りない御慈悲を感じるようになりました。
(人間は皆、永遠の転生輪廻のなかで、いろんな役割を演じながら魂を磨いている仲間なんだ……)
不思議なことに、武を自殺に追い込んだ人々や、葛藤を抱いた人々に対しても、責める思いが薄らいでいったのです。
主人が末期ガンに
いろいろなことのあった1995年が終わり、新年が明けて間もないころ。突然、主人が体調を崩し、入院しました。
検査の結果は、胃ガン。それも、手の施しようのない末期と宣告されました。
(お父さん……)
仏法真理では、「ガンの原因の多くは、自分を責める心にある」と教わっています。武の自殺で、家族は皆、心に傷を負いましたが、特に、責任感が強く優しい主人は、自分で自分を責め続けてしまったのでしょう。
病床の主人が少しでも元気になるよう、私は毎日、仏法真理の書籍を読んであげました。
すると主人は、総裁先生の大講演会に、自分も参加したいと言いました。そこで、特別に外出許可を取り、主人と母と私の三人で、会場の横浜アリーナに出かけていったのです。
会場に集った人々の、明るい雰囲気が印象的でした。普段は口数の少ない主人も、「来て良かった」と、感慨深げに何度もうなずいていました。
総裁先生はその日、「幸福への方法」という演題で、この世でもあの世でも幸福に生きるための心の持ち方や、霊界の姿などを説かれました。
「夕子、優しいお話だったね。先生が優しいから、こんなに人が集まるんだねぇ」
母は何十年も仏教を学んできただけに、再誕の仏陀である総裁先生の御法話に、深く胸を打たれたようです。そして母も主人も、幸福の科学に入会させていただきました。
信仰を深めた日々
主人が入会してからは、二人で支部に通いました。
「生涯反省」のセミナーでは、今までの人生を思い起こし、「人に与えたこと」と「人から与えられたこと」を振り返ります。主人も私も、大きな不幸の陰で、数多くの人々が支えてくださっていたことに初めて気づき、反省と感謝の思いで涙が止まりませんでした。
「つらい経験をしたけど、私たちは、いつも恵まれていたのね。これからは“お返しの人生”で、たくさんの人に仏法真理を伝えていきたい」
「うん、うん。そうだな……」
長男の自殺と、主人の末期ガン──。「死」と向き合っている私たちにとって、真理を一つ知ることは、心に一つ希望が灯ることでもありました。
しかし一方で、主人の体力は日に日に衰えていきました。支部に行けなくなると、家で根本経典の『仏説・正心法語』(※)を写経したり、総裁先生の御法話や瞑想曲のCDを聴きながら、ぽろぽろと涙を流していた主人──。
そして、夫婦で真理を学んで1年になるころ。あの世があることを確信した主人は、真実の信仰に出会えたことに感謝しながら、穏やかに、あの世に旅立っていったのです。
- ※『仏説・正心法語』
- 幸福の科学の根本経典。大切な七つの経文が収録されている。毎日読むことで、天上界と同通し、悪霊を遠ざけ、人生を切り拓く力がある。
この法を伝えたい!
主人も逝ってしまい、さびしくなりましたが、私には生きる目標がありました。
(新しい教えが説かれていることを、皆に知らせたい)
その一心で、以前の信仰の仲間に幸福の科学の教えを伝えても、大抵、「私はいいわ」と断られてしまいます。皆、私が次々と家族を亡くして、おかしくなったと思ったらしいのです。
「いつか分かってくれるから、大丈夫よ!」
幸福の科学の法友(※)たちは、いつもそんなふうに励ましてくれます。私は親戚や地域の方々にも、伝道を続けていきました。
伝道した方の悩みが解決したり、仕事で成功したり、病気が治ったりと、それぞれの人生が開けて笑顔になっていく姿を見るたびに、私も心の底から嬉しくなります。
いつしか私は、自分の不幸が小さく感じられるようになっていました。そんな時、総本山・正心館(※)で「永代供養」が開始されることになりました。
毎日、総本山から読経による光が故人の魂に手向けられ、死後、迷っている魂は天上界に導かれ、すでに成仏している魂には霊的な向上を支援してくださるという供養です。
(武のことがあって、私はこの信仰に出会うことができた。武も、一日も早く真理に目覚めてほしい。お父さんにも、感謝の思いを届けたい……)
私はさっそく、二人の永代供養を申し込みました。
- ※法友
- 法の友。同じく主の教えを学び、共に切磋琢磨し合っていく仲間のこと。
- ※総本山・正心館
- 栃木県宇都宮市にある幸福の科学の精舎(研修・礼拝施設)
「武くんが光のなかに」
それから3年ほど経ったある日。以前の信仰の友人の中村さんから、突然、電話がかかってきました。中村さんは、少し興奮気味に語り始めました。
「夕子さん、今朝ね、不思議な夢を見たのよ。武くんがね、もう何て言ったらいいか、表現できないんだけど、金色のすごい光のなかに、入っていったのよ。そのとき私の方を振り返って、にっこり笑ったの。あの夢は何だったのかしら……?」
(──!)
中村さんのお話に、私は、言葉を失いました。
(ああ、主は、武を助けてくださったんだ!こんなに早く、救ってくださったんだ……!)
主の圧倒的な御光が降り注ぎ、苦しみに縛られていた武の魂が、天上高く、光に満ちた天国へと導かれていく姿が、はっきりと目に浮かびました。
(ああ。主よ、主よ、ありがとうございます……!)
受話器を握りしめながら、涙がとめどなくあふれ、心の重荷がすっかり消えていきました。
さらにその数日後──。支部を訪ねた中村さんが、壁の絵を見て驚きの声をあげたのです。
「これ!この光のなかに、武くんが入っていったのよ!」
「えっ、この光のなか……?」
中村さんが指差したのは、映画「太陽の法」(※)のポスターでした。そこには、黄金の光を放つ主のお姿が、画面いっぱいに描かれていたのです。
「武は確かに、主に救っていただいたのね。よかった……」
主の偉大な救いの力を、改めて確信した瞬間でした。そして私は、この信仰の喜びを、もっと多くの方に伝えていくことを、強く決意していました。
「夕子さん、こんな不思議なことがあるのね……」
この体験を通して、中村さんも主への信仰に目覚めました。今では、共に伝道に励んでいます。
- ※映画「太陽の法」
- 大川隆法総裁の書籍『太陽の法』を原作とする、幸福の科学のアニメーション映画。2000年に全国で公開された。
天国にいる武へ──
武。あの日、あなたが突然逝ってしまって、皆、言葉にならないほど悲しみました。でも、それをきっかけに、私はこの信仰に出会うことができました。
武。私は、どんな悩みも、仏法真理で必ず解決できると知りました。だから、あのときのあなたのように、真理を知らずに苦しんでいる人に、この教えを伝えて、笑顔を取り戻してほしい。そのために、これからも伝道を続けていきます。
いつか、天国の武とお父さんに再会できる日まで、精一杯頑張るから、見守っていてね──。
(※プライバシー保護のため、文中の名前は全て仮名にしています。)
「ザ・伝道192号」より転載・編集