気づかずに始まった「過食」

気づかずに始まった「過食」

コンビニで気になるお菓子を買って、休み時間に友達と食べ比べ。
学校の帰りには、おやつとしてパンを4個。

私の「過食」が始まったのは、高校1年生のころです。当時は、それが過食であるとわからずに食べていました。

「食べる」ようになったきっかけは、進学した高校の選抜クラスで成績が伸び悩んだこと。

中学時代は成績上位で、運動も得意で部活や体育祭でも活躍していたのに、高校に入ってからの成績はいつも普通かそれ以下。

私の家は両親が共働きで、家計に余裕があるわけではありません。

(わざわざ電車で私立高校に通わせてもらっているのに、私、何やってるんだろう)

母が「お金がない」とよくこぼしていたのも、自分を責める気持ちに拍車をかけました。

“いい成績”で築いてきた自分がガラガラと崩れ落ちていく一方で、家庭が裕福で成績もよいクラスメイトがうらやましくてたまりません。

(この子、私より成績いい。あの子も……)

一緒に楽しくお菓子を食べている友達のことすらも、成績のことを思うと敵対視してしまうのです。

それでも、食べることは楽しいし、何かが満たされるような気になります。劣等感と嫉妬心をどうすることもできないまま、過食は続いていきました。

エスカレートする過食嘔吐

過食に「嘔吐」という行為が加わったのは、高校3年生の秋のことです。

(これって、ストレス発散になるのかな……?)

偶然テレビで見た「過食嘔吐」の再現ドラマでは、大量の食べ物を胃に収めた女性が、すぐにトイレで嘔吐する様子が映っていました。

家では父と母の仲が悪く、祖母と母も喧嘩ばかりしている状況。

相談事もままならない中で受験生だった私は、かねてからの学校生活への悩みに受験のストレスが加わり、もやもやする気持ちを持て余していました。

試しに朝ごはんの後で、のどに指を突っ込んで吐いてみたら、なんだかスッキリしたように感じ、私はすぐに過食嘔吐にのめりこみました。

“週に一度、朝ごはんを吐いて、少し休んでから遅刻して学校に行く”という生活リズムでしばらくやり過ごしたものの、嘔吐の頻度は徐々にエスカレート。2回、3回とどんどん増えて、多いときで1日に4回くらい吐くようになり、指はいくつもできた“吐きダコ”でぼこぼこになっていました。

結局、高校卒業後に進学した英語の専門学校はわずか1カ月で中退。当然、アルバイトも始めては辞めるの繰り返しでした。

体重20キロ台、そして入院

体重20キロ台、そして入院

過食嘔吐をどうにかしなければいけないと焦り始めたころ、信者だった伯母の勧めで、両親とともに幸福の科学の会員になりました。

精舎しょうじゃ(幸福の科学の研修・礼拝施設)での研修や、大川隆法総裁の法話の拝聴会に参加し、「助けてください。どうか治してください」という一心でいくつもの祈願を受けました。しかし、過食嘔吐への欲求は簡単には収まりません。

朝起きた瞬間から、食べて吐くことしか考えられずに、めいっぱい詰め込んだスーパーの袋三つ分の食料を一日で食べたり、お米を3合炊き、さらにお好み焼きや卵12個入りパックをふたつ使った玉子焼きを作っては食べて吐く──そんなことを一日中繰り返すのです。

やがて終日布団で寝て過ごすようなウツ状態も激しくなり、みるみるうちに体重が落ち始めました。35キロ、30キロ、28キロと減り続け、ついに拒食症と診断されてしまったのです。

体力が落ちていくのに比例するように精神的にも不安定になり、幻聴が聴こえるようになりました。

「死ね」や「あれを買って食べて吐け」など、症状を誘発するような“声”に追われて、何度も自殺未遂をしました。一度など、走る車から飛び降りようとして大暴れしてしまい、ついに専門の病院への入院が決まりました。

病院では、部屋に鍵をかけられ、ベルトで体を拘束される“隔離拘束”が行われました。痩せたい、太りたくないと願う拒食症の患者には、体重を減らすために何時間も歩き回ったり、部屋の中でジャンプし続けてしまったりすることがあるためです。

体重が増えるごとに、ベルトが外され、部屋の鍵が開けられ……と、少しずつ自由が与えられるという治療法で、30キロを維持できると退院を検討してもらえるのです。

私はその病院に3度入院したのですが、3度目のときには体重が25キロになっていました。そのため、ベルトで拘束されたうえに、鼻から管で直接栄養を入れられるという処置が行われたのです。

「こんなの嫌だ……!生きてるんだから、私だって固形物を食べられるんだっ」

人工的に栄養を流されるのがどうしても嫌で、管を噛みちぎったり穴を開けたりした私は、もちろんとても怒られました。

やっと退院できたとき、私は「もう絶対に入院はしない」と強く心に誓いました。

かけがえのない祈りの時間

退院した私は、「精舎に通ってボランティアをしながら、普通の人と同じような生活ができるようにリハビリしていくこと」を両親と約束しました。

折々に家族の支えになっていた幸福の科学の信仰で本当に立ち直りたいと、覚悟を決めたのです。

そのころになると過食嘔吐の習慣は治まってきたものの、極度の偏食で食べられるものは野菜のみ──かぼちゃやトマト、レタスやキャベツだけのサラダやスープを食べていました。

30キロを下回る体重での行動はつらいものでしたが、母は私を励まし、朝起きてから出発するまでのリズムをつくってサポートしてくれました。

精舎に着くと、館内のボランティアを少しして、大川隆法総裁の書籍を読み、礼拝堂でお祈りをして過ごします。幸福の科学の精舎は、その場所自体に力があるといわれ、特に礼拝堂はあたたかくて美しい、神聖な空間です。

(ここでお祈りさせてもらうって、すごく尊いことだな)

ふと、お祈りをしながら、仏のあたたかい手のひらの上にいる自分を強く感じた瞬間がありました。同時に、あたたかい気持ちがわぁっと湧き出して、「ありがとうございます」という言葉で、体中がいっぱいになったのです。

思えば、それまでの私はお祈りしていても、浮かんでくるのは「助けてください」「こんな自分でごめんなさい」という否定的な気持ちばかり。愛されているという圧倒的な肯定感に打たれ、心が満たされて感謝しか湧いてこない──そんな感覚は初めてでした。

(信じよう、がんばろう……!)

それからは、電車に乗ることも、歩くことも苦ではなくなりました。

精舎に通うことを中心に生活サイクルが整ったことで、さらに一歩踏み出し、アルバイトまで始めることができるようになったのです。

劣等感を脱ぎ捨てて

劣等感を脱ぎ捨てて

過食嘔吐の克服に向けた道のりは、人との比較や劣等感に苦しむ自分との対峙でもありました。
大きな転換点となったのは、「劣等感克服座禅」という、文字通り、自らの心の内に巣くう劣等感を解消させていく研修を受けたことです。

この研修で私は、人との家庭環境の比較や、人よりも成績が劣ることへの劣等感──とても大きく見えていた悩みが、本当はごく小さなことなんだと、まるで目が覚めるかのように気づくことができました。成績に対する劣等感が消え、人との比較が気にならなくなって、心の重りを外されたようでした。

またあるときには、自分の身体への感じ方についても気づいたことがありました。自分のガリガリの体型が恥ずかしくて、周囲の視線が気になって人と打ち解けられないことがあったのですが、そんな悩みを抱えて礼拝堂でお祈りをしていると、

「あなたの体型ではなく、あなたの心を見ているんだよ」

そんな“答え”が、神仏から返ってきたように感じて、ハッとしました。

(私は、自分の体型を嫌がる思いで、心を満たしてしまっていた……)

いつまでも後ろ向きでいては、どのような私であっても愛してくださっている仏に対して申し訳が立ちません。こだわることをやめようと気持ちを切り替えることができると、体型のことはさっぱり気にならなくなりました。

劣等感を脱ぎ捨てるにしたがって、自分の心が軽く素直になっていくのを感じられるようになりました。

22歳から2年間かけて通い続けた精舎での日々は、自分に対する自信のなさや、食べることへの恐怖心を少しずつ和らげてくれました。

私に声をかけ、お茶の時間の輪に混ぜてくれたボランティアの皆さんや、いつも話を聞いてくれた幸福の科学の職員さん。そんな方々が勧めてくれたお菓子を思い切って口にして、「怖い」ではなく「おいしい」と思えたことの感激は、忘れることができません。

思いを支える“神様との絆”

私は今、HSU(ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ)※の学生として、「いずれは世界に貢献できる人間になりたい」という夢を追いかけています。

食事はまだ完璧に好き嫌いがなくなったわけではありませんが、健康で丈夫な身体づくりをしていこうという気持ちに、もう嘘はありません。スパゲティやおにぎり、お魚やお肉まで、食べられるものが確実に増えてきたことも、本当にうれしく、ありがたい思いでいっぱいです。

拒食をしていたころの私は、痩せていることで、華奢きゃしゃで弱い自分を周りにわかってもらいたいという思いがありました。「過食嘔吐という“病気”があるから仕方ない」と、自分が許されるための免罪符にしていたのです。

でもそれは間違いでした。生かされているということは、もうすでに、神様に一人ひとりが存在を許されているということです。今はお祈りをするたびに、一日一日があることが奇跡で、生きていることは当たり前じゃないという静かな感動が胸をよぎります。

信仰とは私にとって、生かされていることを知る、“神様との絆”でした。愛されているすべての存在──他の人を、そして自分自身を本当に大切にすることで、この世界とつながっていきたいと感じています。

HSUに通い始めてからは、ウツになることも、自殺したくなることも一切なくなりました。まだまだ体力も足りないし、変えなければいけない心の傾向性もたくさんあります。

でも、いつか私も、苦しみの中にいる人に手を差し伸べられるようになりたいと思っています。将来は英語を使って、海外の方にも幸福の科学の教えを伝えていきたいです。
今日よりも明日、明日よりも明後日、私はもっと健康になります。

※HSU
Happy Science University(ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ)。幸福の科学が運営する高等宗教研究機関。

(※プライバシー保護のため、文中の名前は全て仮名にしています。)

月刊「アー・ユー・ハッピー?」2017年5月号より転載・編集