一人、夜の海へ……

海

2002年、26歳の夏のことです。

その日、すでに日は暮れ、辺りはすっかり夜になっていました。

一人で車を走らせた先は、海のほとりです。私はエンジンを止めて車から降り、重い足取りで海へ歩いていきました。

(もういい。人生、疲れた……)

私は、真っ暗闇の海の中に、一歩、そしてまた一歩と、歩みを進めていったのです。

1976年4月、私は、敬虔なクリスチャンの両親のもとに生まれました。幼いころからいたずら坊主で、よく小学校の先生に怒られていました。

しかしもう一方では、とても繊細で傷つきやすい複雑な性格でした。 歳下の弟、10歳下の妹が生まれてからは、父から「長男なんだから、しっかりしなさい」と厳しくしつけられていきました。

中学3年生のころ、生活保護を受けていた父の兄が二人、家に転がり込んで来ました。父は伯父たちと仲が悪かったので、母と弟、妹を連れて、すぐに母方の祖母の家に引っ越してしまいました。

私は父から、長男として、先祖代々受け継がれてきた築300年の家を守るよう言われ、父方の祖父と、二人の伯父と四人暮らしをすることになったのです。

(なんで、俺一人だけ……)

両親に置いていかれたことのさみしさでいっぱいでした。しかも、伯父二人は毎日ケンカばかり。

そんな状況のなか、幼いころから可愛がってくれた祖父だけが救いでした。

「俺は、愛されていないんだ」

私は勉強が苦手だったため、志望していた高校の受験に落ちてしまいました。そのため、中学卒業後は仕方なく定時制高校に入学。父の勧めで昼間は電気関係の仕事をして、夜は高校に通いました。

高校3年生のころから、仕事の先輩とパチンコやキャバクラで、さみしさを埋めるように遊び歩くように……。それでも私の心は満たされませんでした。

高校卒業後には、遊び金欲しさで、消費者金融から借金をしました。その額は200万円にまで膨らみました。しかも、借りた先が暴力団系の組織とつながっていたようなのです。

取り立ての電話は鳴りやまず、夜、家にヤクザ風の男が押しかけてきました。戸をドンドンと乱暴に叩かれ、怒鳴り声が聞こえてきます。

「おい! 借りたもん返せ!」

私は居留守を使い、家の中で縮こまっていました。誰にも相談できず、追い詰められる日々……。そしてついに、仕事場にまで請求書が届き、両親にも借金がばれたのです。

「太郎、これはどういうことだ!」

電話で父から問いただされました。

(俺を家に置いて出ていった親父に、そんなこと言われる筋合いない!)

そう思い、頭にきて口論になりました。

「……しょうがないだろ!」

結局、借金は両親が肩代わりしてくれました。私はそのころから、働くことも嫌になり、両親からの連絡も無視するようになりました。

そのうち、「俺は親から愛されていないんだ」という思いが強くなっていきました。誰からも必要とされていないと感じ、毎日、孤独感に襲われるようになったのです。

そして同じころ、唯一、心のよりどころだった祖父も他界──。苦しみが募りに募って、自殺したほうがマシだと思いました。

そして、2002年の夏。私は海で入水自殺を試みました。

(死んだら、楽になれる……)

しかし、頭が水につかり、体が沈み始めたそのとき、家族の顔が思い浮かんできたのです。

実は、私の幼いころに、父の姉が自殺で他界しています。法事では、祖父や父、親戚たちの顔に悲壮感が漂っていました。

(親父をこれ以上、悲しませたくない……)

ハッと我に返り、バシャバシャ泳いで水際まで戻りました。そして、全身濡れたまま車に乗り込み、その場をあとにしました。

一度は自殺を思いとどまったものの、「死にたい」という思いは消えませんでした。仕事でも職場の人間関係をうまく築けず、暴言を吐かれることも……。

仕事を転々とし、自分の居場所を探しましたが見つかりません。生きる意味を求めて宗教巡りもしました。しかし、心は救われず、自殺願望は増すばかりです。

それからは、夜の湖に飛び込んでみたり、山奥に行って崖から飛び降りようとしたり……。

でも何度死のうとしても、「家族を悲しませたくない」という思いがブレーキになり、自殺を思いとどまるのでした。

「自殺を減らそうキャンペーン」との出合い

暗い海に向かって

35歳になったある日のことです。大型トラックでの運送の仕事に就いていた私は、東京都八王子市を走っていました。

すると、前方の窓から、綺麗な建物と、黄色い旗が見えました。よく見ると、旗には「自殺を減らそうキャンペーン」と書いてあります。

(……自殺の防止キャンペーン?)

そのころの私は、死にたいのに死ぬことができず、救われたい思いでいっぱいでした。トラックを近くの駐車場に停め、歩いて建物に近づいてみました。建物には、「幸福の科学」と書いてありました。

(幸福の科学……。聞いたことあるな)

幸福の科学のことは、地元の書店の宗教書コーナーで見かけて、名前だけ知っていました。思い切って建物の中に入ってみると、数名の方が笑顔で迎えてくれました。

「あの、自殺を減らそうキャンペーンの旗を見て来ました。実は、自殺したくて……」

そう率直に伝えると、テーブルのある部屋に案内されました。50代くらいの男性や女性の方が、親身に私の話を聞いてくれました。

「……月島さん、つらかったですね」

そして、その方々は、「人は死んだら終わりではない。あの世の世界はある」ということや、「自殺者の霊は、自分が死んだことに気づかず、何度も自殺を繰り返して、この世でさまよい続ける」こと、「自殺をしても楽にはなれない」ことを教えてくれました。

(えっ、死ねば楽になれるんじゃないのか?)

私は幼いころ、毎週、両親に連れられて教会に通っていました。社会人になってからも教会で教えを学んでいたので、「死ねば皆、天使に救われて、天国に行ける」と思っていました。しかし、どうやら違うらしいのです。

支部の皆さんは、そうした神仏の教えを私に分かりやすく話しながら、「人生をあきらめないでね」と、私を励ましてくれました。

(……なんだか、居心地がいいな)

帰り際には、「読んでみてね」と、大川隆法総裁の著書『勇気の法』を手渡されました。

初めて知った、真実の人生観

その日の夜、早速自宅で『勇気の法』を開いてみました。

そこには、「人間の本質は肉体に宿った霊的存在であり、人間は魂の経験を積むために、この世とあの世を何度も生まれ変わっている」という霊的人生観が書かれていました。

さらに読み進めると、ある箇所が目にとまりました。


どのような挫折や失敗のなかでも、そこに天意を感じ取り、そのなかで自分ができる最善の努力をして、新しい道を開いてください。環境は変えられなくても、考え方を変え、心境を変えて乗り切っていくことはできるのです
『勇気の法』より)

さらに心にしみ入る言葉は続いていきます。


勇気さえ持てば運命はどうにでもなる。勇気があれば何だってできる。言い訳を排し、勇気を元手にして戦うことだ。勇気があれば、その一言が出る。勇気があれば、手を差し伸べられる。勇気があれば、立ち上がれる。勇気があれば、ほかの人の命を救うこともできる。自分の運命だって変えられるし、人の運命も変えることができる。それが勇気だ。
『勇気の法』より)

私は、涙がポロポロとあふれてきました。

(勇気を出して、生きる道を選びたい……)

私は、地元で幸福の科学の支部を探して入信。支部に通い教えを学ぶようになりました。

俺、悪霊に憑かれてた……

しかし時折、仕事で怒られたときなどに、「死にたい」という思いがよぎりました。

そんなとき、支部長や支部の皆さんが私を気にかけてくれました。気軽に「ご飯に行こうよ」と誘ってくれたり、悩みを聞いてくれたり。皆さんからの連絡に、何度も救われました。

また、支部長の勧めで、大川隆法総裁先生の教えを学ぶセミナーに参加したり、霊界の様子が描かれた映画「永遠の法」を観たりするなかで、「悪霊の存在」についても知りました。

悪霊とは、死んで天国に還っていない不成仏霊や、地獄に堕ちた地獄霊のことです。

「暗い気持ちが続くときは、悪霊憑依ひょうい(※)の影響がある」ことや、「自殺した霊は、他人に取りいて同じように自殺させ、苦しみに引きずり込もうとする」ことなども知りました。

(もしかして俺、ずっと悪霊に憑かれてたんじゃないだろうか……)

そして、悪霊による憑依は、「波長同通の法則(※)」によって起きるとも知りました。そのため、神仏の教えを学んで心を調和し、悪霊を引き寄せない心の持ち方をする必要がありました。

私は、他人への怒りや嫉妬心など、マイナスなことを考えすぎる傾向があったのです。少しずつ、考え方を変えるよう心掛けました。

そうして学びを深めていき、2018年の夏には、支部長の勧めで、幸福の科学の御本尊を拝受させていただきました。御本尊の拝受は、悪霊から身を守り、信仰を深めていくための大きなきっかけとなっていったのです。

日々、御本尊の前で幸福の科学の根本経典きょうてん仏説ぶっせつ正心法語しょうしんほうご』(※)を読誦するようになりました。『仏説・正心法語』には神仏の光が込められていて、読むことで悪霊を遠ざけることができるそうです。読まない日が続くと、感情のブレが激しくなったり、支部に行きたくなくなったりすることを実感したので、なるべく毎日読むようにしました。

憑依ひょうい
悪霊などが取りくこと。霊が地上の人間に憑いて影響を及ぼしている状態のこと。
※波長同通の法則
心の世界、霊界の法則で、同じ波長の者同士が通じ合うという法則。
※『仏説ぶっせつ正心法語しょうしんほうご
幸福の科学の根本経典きょうてん。大切な七つの経文きょうもんが収録されている。毎日読むことで、天上界と同通し、悪霊を遠ざけ、人生を切り拓く力がある。

自宅での神秘的な体験

自宅での神秘的な体験

ある夜、私はベッドで寝ていたときに、不思議な“夢”を見ました。自分の人生を客観的に録画したようなビジョンが、ザーッと走馬灯のように過ぎていったのです。

中学校のときに掃除用具を振り回して友達をケガさせたこと、社会人のときに借金をして会社や両親に迷惑をかけたこと、そして自殺を試みた行いの数々……。

多くの方に迷惑をかけてきたことに、ハッと気づかされました。そして、さらにビジョンは続いていきます。

両親が、生まれた私を抱いて笑顔で喜んでいる様子や、小学生のときに両親が海に遊びに連れて行ってくれたこと、成人後も「元気にやってるか?」と電話をくれたこと……。

目を覚ますと、私は号泣していました。

(俺、ほんとうは愛されていたんだ──)

私は、両親からの愛情が欲しくてたまりませんでした。しかし、今までの人生を見せられて、ほんとうは両親からとても大切にされていたと分かったのです。

私は、父から「長男なんだから」と厳しく育てられたことや、中学生のときに一人だけ家に残されたことに反発していました。でも、それは「立派な人になってほしい」という、父の深い愛からくる行動だったのだと思えたのです。私を家に残したのも、両親なりの事情があったのでしょう。

私はそうした両親の愛に気づかず、自分勝手に「必要とされていない」と不満を募らせていました。しかも、借金を重ね、やけになって自殺まで考えていたのです。

(父さん、母さん、ごめん。ありがとう……)

今までの苦しみが癒された気がしました。

私は、ひとりじゃない

私は、この教えに出合う前は孤独でした。でも、今はひとりではありません。心がブレて苦しいときもありますが、支部の仲間が励ましてくれます。

また、実家に顔を出すと両親が温かく迎えてくれます。親子で会話を楽しんだり、父と庭仕事をして汗を流したりと、親子水入らずの時間を過ごせてうれしいです。

私は幸福の科学で、「どんな苦難や困難にも意味がある。苦難は、自分の魂を磨くためにある」と学んだので、つらいときも頑張ろうと思えるようになりました。

何より、神仏が見守ってくださっているという安心感に心が満たされています。

「生きていれば、希望はある。だから人生をあきらめないでほしい」。以前の私のように苦しんでいる方の力になりたくて、毎週、幸福の科学の機関誌を地域の皆さまにお届けしています。

(※プライバシー保護のため、文中の名前は全て仮名にしています。)

「ザ・伝道241号」より転載・編集