仲間外れの幼少期

仲間外れの幼少期

思い返せば、幼稚園のころからすでに、“その兆候”はありました。

クラスの子供たちがきゃあきゃあと楽しそうにはしゃいでいても、その輪の中に私はいません。私が何か言うと、相手は何か言いたげに表情を曇らせます。

園の中で遠巻きにされていることをうっすら自覚してはいましたが、もともと絵を描くなどのひとり遊びが好きだったこともあって、特に気にせず過ごしていました。

「こういうのって嫌だな」と感じ始めたのは、小学校に上がってしばらくしてからのこと。

「アホ!」
雨田あめださんてさ……」

男子は面と向かって悪口を言い、女子はこそこそと私を避けるようなそぶりを見せます。私の体操着が入った袋を男子が廊下で蹴って遊んでいることも、よくありました。

(なんであんなことするんやろ?)

それでも、私は強い危機感を感じることもなくマイペースに過ごしていました。

小中高とやむことのないいじめ

学年が上がるにつれ、私に対する非情な扱いは“公然としたもの”になっていきました。

「あいつには意地悪をしてもいいし、悪口を言ってもいい」

そんな認識が定着し、誰からもいじめられるようになりました。

いわゆる「いじられキャラ」とも言えますが、“いじり”という言葉では片付けられないほどの嫌がらせを受けました。

班ごとに食べる給食の時間は私だけ机を離され、歩いていれば後ろから砂をかけられ、自転車の空気を抜かれ……。一つひとつ挙げていけばキリがありません。

担任の先生に何度も相談しましたが、クラスに漂う“雨田はいじめてもいい”という空気に気圧けおされ、どうしたらいいかわからないようでした。

親身になってくれた先生もいましたが、いじめの根本的な解決には至らないまま、小学校生活は終わりを迎えたのです。

母は教育熱心で、私は低学年のときからずっと進学塾に通っていました。そのため成績は優秀で、母の勧めもあって難関中学を受験することに。

合格して母を喜ばせたいという気持ちと、小学校のクラスメイトがそのまま持ちあがる地元の中学校に通いたくない、という思いを原動力に猛勉強し、一次試験は通過しましたが、二次試験で不合格。仕方なく地元の中学校に入学したのです。

中学校でも、いじめがやむことはありませんでした。でも他の小学校出身の子と接するうちにぽつぽつと友達もでき、部活動も楽しく、少しだけ毎日に明るさが生まれました。

しかし友達と遊ぶ楽しさを知ったため、以前ほど勉強に身が入らず成績はガタ落ち。すると、塾の先生にも見せしめのようにいじめられるようになりました。

わざと難しい問題を当ててみんなの前でなじられ、「雨田さんみたいに宿題を忘れてはあかんよ」と嫌味を言われます。さらに同じ塾に通う他校の男子に目をつけられ、塾帰りに人目につかないところで殴ったり蹴ったりされたのです。

恐怖のあまり、授業が終わると女子トイレの個室に逃げ込み、その男子が帰るまでじっとしていました。

さすがに母が塾に相談してくれたのですが、返ってきたのは「雨田さんは余計なことを言うからじゃないですか」というひと言。解決することはありませんでした。

高校生になってハンバーガーショップでアルバイトを始めたときも、店長から厳しく指導され、ストレスから過呼吸状態になることがよくありました。私を見張るようにして隣に立つ店長からキツく叱責され、何度か高温の鉄板の前で意識を失いそうになったこともあります。

自殺を止めた幸福の科学の教え

自殺を止めた幸福の科学の教え

高校生活も折り返し地点を過ぎるころになると、精神状態がかなり不安定になり、躁状態とうつ状態を2~3週間ごとに繰り返すようになりました。

「生きているだけで楽しい!」とやみくもに動き回ったかと思うと、「死にたい」という思いで動けなくなるのです。それまで自覚していなかったストレスが一気に噴き出したようでした。

何もやる気がなくなり、1週間ぐらい学校を休むこともよくありました。とりとめもなくいろんな死に方を考えては、「死ねなかったら痛いだけだから嫌だな」と、無気力に横たわってばかりでした。

(生きるのと死んでるの、どっちがラクかな)

しかし、そう思うたび、私の心のどこかで兆すものがあります。

それは、「自殺しても天国には還れない」という幸福の科学の教えでした。

私が生まれる前に母が幸福の科学の信者になり、その信仰を受け継いでいた私は、折に触れて幸福の科学の機関誌などを読んでいたのです。


自殺者のなかには、自分が死んだことも分からない人が大勢います。例えば、首吊り自殺をした人であれば、死んでからも、何度も何度も首を吊っています。それでも死ねないので、今度は地上に生きている人に取り憑いて、他人に首を吊らせるようなことをするのです。このように、何度も何度も、死ぬ瞬間を繰り返し体験するのです。その人が、もし、80歳まで生きるということを、今世、生まれることの使命としていながら、50歳で自殺をしたならば、その後の30年、その人は、天国に入ることも地獄に入ることもできません。
『霊的世界のほんとうの話。』より)

(自殺して何十年もずっと苦しみ続けるんやったら、生きるに賭けた方がいいかな)

今がどんなに真っ暗でも、光の世界はちゃんとある──。

その教えが私の命綱でした。たとえ地獄と思える場所に迷い込んでいても、信仰という名の綱をたぐれば上に上がれる。そう信じることで、どうにか一日一日を乗り越えていったのです。

「アスペルガー症候群」と診断されて

高校卒業と前後して病院で検査を受けた私は、「アスペルガー症候群」という診断を受けました。これまで感じ続けていた違和感の正体が、ついに浮かび上がってきたのです。

  • 好きなことは集中し続ける
  • 興味がないことには手を出さない
  • 相手の反応は関係なく話し続ける
  • スケジュール管理や急な変更が苦手
  • 名前を呼ばれないと自分だと気づかない
  • 相手の気持ちが理解できず、傷つくことを口に出してしまう
  • 明確な指示がないと動くことができない
  • 曖昧なことが理解できず、場の空気を読むことが苦手
  • 冗談が通じないと言われる

アスペルガー症候群かどうかを判断する目安のひとつに、こうしたチェック項目がありますが、私はおもしろいくらいどれも当てはまります。

自分は宿題を忘れて怒られているくせに、遅刻してきた子に「遅刻するのはいけない」と強く注意したこと。

体育祭の応援ダンスのために、クラスの皆が机を端に寄せて練習していても、その机の上でひとり数学を勉強していたこと。

見かねた同じクラスの子が「一致団結してやろうって言ってやってんねんから、みんなのためにも参加したら?」と声をかけてくれたとき、「そんなら、そもそも学生の本分は勉強やねんから、自分らのグループも授業中黙ってくれへん?授業中うるさいの迷惑してるよ」と言い返し、二度と話しかけられなくなったこと。

ふつうなら「こう言ったらこういう反応が返ってくるだろうな」と想像がつくことが、私のなかでは関連性がないのでわからないのです。

場の空気を読むことができず、あれもこれもと、振り返れば「相手は嫌な思いをしただろうな。ごめんな……」と思うことばかりでした。

幸福の科学の教えを学ぶことで癒やされた過去の傷

幸福の科学の教えを学ぶことで癒やされた過去の傷

高校を卒業してフリーターになった私は、自分に自信がなく、気持ちの落ち込む日々が続きました。当時は、毎日のようにSNSで「死にたい」とつぶやいてばかりいました。

そんな状態から何とか立ち直りたくて向かったのは、幸福の科学の精舎しょうじゃ(研修・礼拝施設)でした。

大川隆法総裁の書籍が読めるライブラリーがあったので、訪れるたびにそこで2~3冊の本を読むという生活をしばらく続けたのです。

当時は経済的にも苦しい状況でしたが、特に「読み続けたい」と感じた書籍はできる限り購入し、家でも読みふけりました。

特に印象深いのは、公開霊言シリーズの書籍で老子が語った「そんな、『幸せになろう』なんて思うから、不幸せになるんだ」という言葉です。このひと言に気持ちが楽になり、ボロボロと涙があふれてきたのです。

(生きよう──)

「自分はダメなやつだ」と思っていた私に、幸福の科学の信仰は、何度も何度も、「あなたには絶対的な価値がある」と教え続けてくれました。

また、『じょうずな個性の伸ばし方』では「ADHDなどについて、一般的には、『魂の個性や多様性の問題だ』と考えましょう。だれもが仏の子なのです」と紹介されており、大川総裁はアスペルガー症候群や発達障害も「個性のひとつ」だと言ってくださっています。その言葉にどんなに励まされたことでしょう。

実際、アスペルガー症候群や発達障害の“悪い癖”は、大人になるにつれて上手に抑えていくことができます。私自身、相手の気持ちを想像することはうまくありませんが、年齢が上がるにつれて、実験結果のフィードバックのように「こういうときにはこう対処する」「これを言ったら相手が傷ついたから、言わないほうがいい」というような知識が身につき、自然な受け答えができるようになっていきました。

そして、幸福の科学の教えを学ぶほどに過去の傷が癒やされ、心が安定していったのです。

アスペルガー症候群だからこそ同じ試練を持つ人の力になりたい

「人の役に立てる人間になりたい」と思えるようになった私は、しばらくして専門学校に入り、簿記1級を取得することができました。今は税理士試験を受けるための勉強をしており、いずれは発達障害を持った人やいじめ被害者の支援をしたいという夢もできました。

当事者のひとりとして、アスペルガー症候群をはじめ、発達障害であるかどうかは、早いうちにわかったほうがいいと思います。

誰も、人を傷つけたり、仲間外れになりたくて、「空気の読めない言動」をしているのではありません。悪口を言われればつらいし、いじめられれば深く傷つきます。だからこそ、早いうちから「そういう傾向がある」と本人が理解することと、対策を教えてあげることが必要だと思うのです。

そして、発達障害を持つ人が陥りがちなのが、まわりから怒られたり笑われたりするうちに自分の判断が信じられなくなり、「自分は発達障害だからダメなやつなんだ」と思いこんでしまうこと。

そして、いじめや不登校をきっかけに進学や就職につまづき、「社会不適合者」のレッテルを貼られてしまうことです。

そのため、「こういうときはこういう風にしたらいいんだよ」という現実的な対処法とともに、「人と違うところがあるけれど、だからといってあなたは悪い子ではない。あなたは仏の子としての輝く個性を持っている」という真実を伝えたいのです。

アスペルガー症候群などの発達障害は“個性”ですが、だからといってそのまま何の努力もしなくていいわけではありません。天上界で選んできた“人生修行”のひとつですから、それがどのようなものかを自覚し、上手につきあう方法を学ぶことで、その試練を乗り越えていけると思います。

何よりも、私が立ち直ったように、幸福の科学の信仰には、すべての人を支える力があると信じています。この信仰をいつも支えにし、発達障害やいじめで苦しむ人の力になれるように努力していきます。

(※プライバシー保護のため、文中の名前は全て仮名にしています。)

月刊「アー・ユー・ハッピー?」2017年10月号より転載・編集