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人生の試練のなかに、神仏との出会いがある

苦難や困難、失敗、挫折というものは、世間では悪いことの象徴のように言われていますが、必ずしもそうとは言い切れない面もあるわけです。「失敗のなかに成功の因があり、また、悲しみのなかに喜びの種がある」という、ものの見方が非常に大事だと思います。
世の中を非常に単純に、二元論的に見る人は、「仏神が存在するなら、世の中には、なぜ不幸があるのだろうか。なぜ辛酸をなめるような経験があるのだろうか。なぜ死というものに出会う悲しみがあるのだろうか。なぜ別離という悲しみがあるのだろうか。なぜ貧乏という名の苦しみがあるのだろうか」ということを感じます。
しかし、そのような苦しみや悲しみは、単なる苦しみのための苦しみであったり、悲しみのための悲しみであったりすることはありません。苦しみや悲しみと見えるものは、実は、姿を変えた、仏神の大いなる愛であることが多いのです。
仏教では、さまざまな試練を観世音菩薩の方便であると言うこともあります。いろいろな試練と見えるもの、砥石と見えるもののなかに、実は、仏神との出会いがあるのです。
「子供として健康に育ち、まずまずの成績を収め、まずまずの進学を果たし、まずまずの就職をし、まずまずの結婚をし、よい子供を持ち、年老いて死んでいく」というだけでは、なかなか仏神との出会いはないかもしれません。
しかし、九十九パーセント以上の人は、どこかで挫折を経験しています。夜、眠れないような経験をしています。だれであろうと、必ず、食事が喉を通らないような経験、夜、眠れないような苦しみ、焦燥感を味わったことがあるのです。
ただ、問題は、それに対する評価の仕方、考え方、とらえ方だと思います。すなわち、「そのような苦難や困難、あるいは焦燥感、苦しみ、悩みと出くわしたときに、それを悪の実在のように思い、世を呪い、仏神を呪い、人を呪うか。それとも、そのなかに、自分の成長を促す何かを感じ取るか。仏神の方便を感じ取るか。仏神の大いなる愛を感じ取るか」という違いであろうと思います。

大川隆法著『幸福の原点』より