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仏の子の自覚

昔から、「偉人や大人物になるためには、大病、浪人、失恋、離婚、失職などの苦難や困難を経験する必要がある」というようなことが言われています。これらがなぜ偉人や大人物になるための前提なのかといえば、こうした苦難や困難によって、これ以上は落ちないという、人生の底の部分を固めることができるからです。
自分の心の底にある"大地"を確かめた人間は、強くなれるということです。そして、困難をはね返し、立ち上がることができるのです。
「この種の困難に対して、自分はここまでは頑張れる」という限界をつかむことが大事です。したがって、苦難や困難に積極的意味を見いだすことは、そう難しいことではありません。それによって、「ほんとうに追いつめられたとき、どれだけの自己を発揮できるか」ということを知ることができるのです。
「ある人の人物を見るためには、その人が得意の絶頂にあるときと、失意の底に沈んでいるときとを見ればよい」と言われています。
得意のときに自我が出て、うぬぼれるのは凡人です。また、失意のときに泣き叫び、喚く人も凡人です。この両極端のときに、不動心や平常心を持って生きることのできる人間は、それだけで非凡なのです。
発明家エジソンは、研究を重ねて、さまざまな特許を取った人ですが、あるとき、彼の研究所が火事で燃えてしまったことがあります。彼は火事の現場に立ち、自分の研究所が灰になってしまったのを知ったとき、「よかった。これでもう一度やり直せる」と言ったのだそうです。
英国の思想家カーライルにも似たような話があります。
彼はあるとき、自分の原稿を読んでもらうため、それを友人に渡しました。ところが、友人がそれを読みおえ、机の上に置いて寝てしまったところ、その家のお手伝いさんが、その原稿をゴミだと思って処分したため、原稿が失われてしまったのです。
しかし、カーライルはそれを悔やむでも悩むでもなく、また最初から書きはじめたのです。それは完成後に有名な歴史の書物となり、不朽の名著と言われるものになりました。
カーライルのこの態度のなかに、私は非常に強いものを感じます。
どのような困難があっても、もう一度ゼロからやり直せるだけの力、信念がある。たとえ仕事が完成目前でつぶれてしまったとしても、もう一度やり直すだけの根気がある。こうしたことが大事なのです。
「いつでも裸になってゼロから出直せる」という心情の持ち主は強いものです。しかし、ある程度の地位や名誉を得たときに、転げ落ちることが怖くて、それにしがみついている人は、弱く、はかなく、もろいものです。
エジソンのように、研究所が燃えたときに、「これでもう一度やり直せる」と言えるような人間になろうではありませんか。あるいは、カーライルのように、自分の原稿が失われたときに、もう一回、書き直して、不朽の名著とするぐらいの実力を持とうではありませんか。
私は、そうした偉人たちの事業そのものより、その心境に大きな感動を覚えるのです。
『人を動かす』『道は開ける』という名著を書いたデール・カーネギーという人も、そうしたところのあった人です。
彼は若いころ、小説家を志望していたそうです。ところが、彼が書いた二つの小説は、両方ともボツになり、採用されなかったそうです。以後、彼は小説こそ書きませんでしたが、光明思想や自己啓発思想に関する名著を数多く書いて、世界じゅうの人びとに感化を与えました。
カーネギーは自分が小説家になれなかったことを悔いていません。「私はこの道を選べてよかった。『小説家にはなれない』と言われたときは、それが最後通告のように感じたけれども、みごとに立ち直って、思想家や教育家として生きてきた」と彼は言っています。彼は新たな道を切り開いたのです。
「人間、到る処、青山あり」と言いますが、「どのようなところからでも、自分の可能性を切り開いていくのだ」という考え方を持っていれば、苦難や困難はありません。
自分が仏の子であることを自覚すればするほど、「どのようなことがあっても立ち直っていく」という、不退転の心境を大事にしなくてはならないのです。

大川隆法著『不動心』より