Message09

悲しみの底を
ぶち割ったとき、
そこから光が出てくる

「悲しみの底をぶち割ったとき、そこから光が出てくる」という話を、みなさんはご存じでしょうか。「どん底のとき、その底をぶち割ると、一条の光がほとばしってきた。光は上からのみ来ると思っていたのに、底をぶち割ったところ、下から光がほとばしってきた」ということを言う人もいるのです。
シェークスピアという芸術家はさまざまな悲劇を書きましたが、彼が悲劇をつづったのは、悲劇の底にある光を人々に示さんとしたからです。「悲劇の底をぶち割ったとき、そこには人間性の真実があり、その真実の奧には、内なる光が潜んでいる」ということを、彼は世の人々に示さんとしたのです。
すなわち、喜劇、楽しい劇ばかりが、人間の進歩を促すものではないということです。世の中において悲劇といわれているような現象であっても、ある意味では、それが光に近づいていくための近道だということもあるのです。
世の中には自分の運命を呪う人が多いものです。「なぜ自分だけが、こんな運命のもとに生まれ、こんな苦労をしなくてはならないのか」ということを考える人は多いでしょう。
幼くして両親を失った。経済的苦労のため学校に行けなかった。結婚ができない。結婚をしたが、配偶者と死に別れた、あるいは生き別れた。子供が生まれない。子供が生まれたが、幼くして死んでしまった。子供が不良になった──。
一つひとつあげていけばきりがないほど、世に悲しみの種は尽きません。
しかし、こうした悲しみ、あるいは不幸な運命といわれているものは、何の意味もなく、何の役にも立たないのでしょうか。
人間が地上に生まれてくる前に住んでいた天国という世界は、そうした悲しみや苦しみが少ない世界です。「なかなか自分の願いがかなわない」というようなこともないわけではありませんが、積極的な悪というものは天国には存在しません。しかし、この地上では、運命に翻弄されるがごとく、不幸が襲いかかってくることがあります。
『旧約聖書』にはヨブの話があります。あらゆる災難がヨブに降りかかってきて、とうとうヨブが神を呪うまでになったとき、神はヨブに対して答えました。「ヨブよ、おまえは神の心を裁くことができるほどに賢明であったのか。もっと謙虚になりなさい。おまえは神の心がほんとうに分かっているのか」神はこのようにヨブに呼びかけています。このときの神の答えのほんとうの意味は、「進化という目的のために、神はさまざまな舞台装置を用意されている」と考えればよいと思います。自分を遺して死に、旅立っていった人も、あの世の世界で、また素晴らしい生活をしているのです。したがって、「この地上のみに視点をおいて物事を考えてはならない」ということが分かるはずです。
結局、いろいろな試練を与えられる人は、それだけ光に近いところにいるのです。喜びのなかにいれば天国は近いけれども、悲しみの底にも天国は近づいている。そして、その悲しみの底を打ち抜いて光を手にしたとき、そこに天国が現れる──。世の人々は、このことを知らねばなりません。

大川隆法著『永遠の法』より